攻殻機動隊の原点
あらすじ
ハリウッド版「GHOST IN THE SHELL」、アニメ版「攻殻機動隊」、押井守監督「イノセンス」「GHOST IN THE SHELL」の原点。
今から約九年後の近未来が舞台。時代は2029。後9年後か…無理あるな。
企業のネットが星を覆い、電子や光が駆け巡っても
国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来。
アジアの一角に横たわる
奇妙な企業集合大国
日本…
こんな書き出しで始まります。
この世界では「電脳」や「義体」、それらを使った「疑似体験」つまり仮想現実が普通に存在する社会です。
キャラクター
草薙素子
押井監督やアニメ版とは違う印象で、明るい一昔前の女性キャラ。
人形使い
ネットの海で自然発生した自我。
草薙素子にある理由があって近づいてきた。
用語
電脳
「電脳」とはその名の通り脳を機械化することです。
ナノサイズのナノコンピューターを脳に注射、それらは必要に応じて脳のニューロンと結合し人間の計算能力を強化したり、脳と外部の機械を接続するポートを解放したり閉じたりすることでネットや外部記憶装置に接続できます。
義体
「義体」は腕や脚にとどまらず体全てを機械化することができます。「全身義体」と呼ばれ人間を遥かに超えた身体能力を持ちます。
「電脳」化している彼らは僅かな脳細胞がその電脳に残されているだけで、ロボットと遜色ありません。
ネタバレ
感想
作風は少し古いんですが、内容は少しも色褪せません。
アニメや映画を見た方は少し驚くかも知れませんが、草薙素子が意外とお茶目で明るいんです。
暗めの印象を受ける劇場版からは想像できません。
バトーは素子をゴリラ扱いしますし、トグサはクソ生意気なルーキー。性格も全く違います。
私はアニメ版ではトグサが一番好きなんです。
一人だけ義体化をせず、しかも守るべき家族がいる。
強靭な体を持ち、しかも交換可能、性格は冷静沈着かつ大胆な素子やバトーとは対照的に交換の効かない生身の体と守るべき家族、それ故の慎重さ。
素子やバトーが持っていない、生身故の視点で事件に迫っていく。
そして時にトグサの特徴が重要な役割を果たす。
彼は弱い。足を引っ張ることもあますが、勇気と信念で事件に迫っていく。
普通な私には一番感情移入できるキャラックターなんです。
しかし残念ながらそのトグサはあまり活躍しないんです。
バトーもそれほど活躍しません。
あくまでもメインは草薙素子、イシカワもちょい役で出ますが基本は引き立て役です。
考察
映画版「GHOST IN THE SHELL」との共通点
基本的にこの漫画は一話完結です。
その短い一話の中で少しづつ本筋のストーリーが進んでいきます。
普通に面白いドラマとかのスタイルですね。
作中の雰囲気は全く違いますが、映画「GHOST IN THE SHELL」と同じ題材を扱っています。
ただし、ほとんど説明されない映画と違いしっかり説明してくれます。
進化生物学者リチャード・ドーキンス氏が「利己的な遺伝子」のなかで考案した「MIME」という概念が登場します。
進化生物学には「表現型」というの概念が存在し、ビーバーの作りだすダムやクモの作り出す蜘蛛の巣などのことを指しています。
つまり環境に影響する様な遺伝子のことです。
「MIME」といいうのは「表現型」を発展させたもので、人間の作り出す思想、例えば「共産主義」や「資本主義」、人間の作るシステム「経済」や「法律体系」なども遺伝子が作り出した「表現型」であるというものです。
それら「MIME」も「MIME」同士の生存競争に晒されて、弱い「MIME」は淘汰され、強い「MIME」だけが生き残っていく、というもので生命の定義を見直すものです。
「生命の本質が遺伝子を介して伝播する情報だとするなら、社会や文化もまた膨大な記憶システムに他ならないし、都市は巨大な外部記憶装置って訳だ。」
映画「イノセンス」でこうバトーがこう言っていた様に、この考え方がこの漫画版「THE GHOST IN THE SHELL」でも重要になっています。
映画「GHOST IN THE SHELL」では説明されなかった、人形使いが素子と融合したい理由も説明され、「利己的な遺伝子」を読んだ後ならなるほど、となる作品です。
この漫画は1巻と2巻で全くの別物と呼べる作品になっています。
1巻は物理世界での物語ですが、2巻からはコンピューターの作り出した世界を視覚化し描いた作品です。
ネットと融合した草薙素子や素子の作り出したコンピューターウイルスがキャラクター化され、ウィリアム・ギブソンの「ニューロマンサー」を思い起こさせます。
2巻も独特の世界観に引き込まれてしまいます。
これはまたの機会に紹介します。
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